イエス・キリスト(84) 二人または三人がイエス様の名によって
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ十八・20)
この御言葉は集会(教会)において、今現在生きて働いておられる主イエスを感じさせていただいた、私にとっては思い出深い御言葉です。
聖書の御言葉は神の霊感によって書かれているので、厳密さを伴い、別の言葉に言い換えることはできないと言われています。このマタイ十八章20節の御言葉では、「二人または三人が」、「わたしの名によって」、「集まるところ」、「わたしもその中にいる」が重要な語句だと言えます。
まず「二人または三人が」は、一人では集まると言えないので、二人以上という意味だろうと考えられますが、「二人または三人」が重要なのだという考えもあるようです。
私の場合は、数人の集まりでも五十人以上の大規模な集会においても、主イエスの名のもとに集まった集会(教会)において、イエス様が来られているのを感じたことがあり、人数はあまり厳密ではないような気がします。
集まりではなく、一人で祈るときには別の御言葉があります。
「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ六・6)
一人で祈る場合は奥まった部屋に入り戸を閉めて隠れたところにおられる神に祈るのですね。
「わたしの名によって」は必須のことです。イエス様の名によらない集会は問題外ですね。
この御言葉は天に昇られて聖霊となられた霊なる主イエスが言っておられる言葉だと思います。
高槻まかみキリスト聖書集会
コメント